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2013年2月27日水曜日

【イラン、対『アルゴ』映画を製作か!?】


 弊誌2012年12月号映画紹介欄でも取り上げた『アルゴ』がアカデミー賞で作品、脚色、編集の3賞を獲得した。
 賞を受けたから良い映画というわけでは決してないが、『アルゴ』は時代の空気を見事に再現、かつスリリングな“脱出モノ”の傑作と言えよう。
 一方、イランは「我々を貶める政治的な作品」と猛反発しているとのことだが、アメリカと癒着したシャー独裁体制の腐敗と暴虐も短いながらもキッチリ描いていて、バランスは取れてたとは思うんだけれど…。
 それとも、イラン人女性がイラクに亡命するシーンが許せないとか…?…
(これ、ネタバレになってないですよね?)

 とにかく、イラン版パーレビ革命映画を制作するとの報道で、戦争映画に佳作・秀作も多いイラン映画のこと、これはこれで楽しみ。

 ところで、イラン製映画はジャンルを問わず数多くあるのに、イラク製映画はまったくと言っていいほどないのは、なぜだろう?

2013年2月1日金曜日

【エリック・シンセキ大将】

昨年の12月17日、米国政界の重鎮ダニエル・イノウエ上院議員が死去された。追悼式典においては連邦議会議事堂の中央大広間に棺が安置されたが、これは大統領に准ずる待遇で極めて異例なことだという。オバマ大統領が「アメリカは真の英雄を失った」と最上級の追悼の辞を送ったことでも話題となった。

イノウエ氏はハワイ生まれの日系二世で、第二次大戦ではかの有名な442連隊戦闘団に入隊し、欧州戦線において英雄的戦果を挙げ名誉勲章を受章、日系人社会は勿論、米国民全体にその名を馳せた人物だ。

戦後は日系人初の上院議員として当選、以後ウォーターゲート事件やイラン・コントラ事件の上院特別調査委員長として活躍するなど半世紀に亘り職責を全うし、上院仮議長に就任していた。
と、この様な内容は昨年末かなり詳しく報道されたので、日本人でも多くの人が記憶に新しいところであろう。しかし日系米国人の英雄と言えば、もう一人絶対に忘れてはならない人物がいる。それはエリック・シンセキ陸軍大将だ。

シンセキ大将もハワイ生まれで日系三世。ウェストポイント卒業後砲兵少尉に任官し、第25歩兵師団第9砲兵連隊に配属されベトナム戦争に従軍、負傷しパープルハート勲章を受章、大尉で機甲科に転科、第9歩兵師団第5騎兵連隊第3大隊A中隊長で再度の戦傷を負った。

戦後はウェストポイント士官学校教官を経て、第3機甲騎兵連隊副官、ドイツ駐留の最精鋭部隊である第3歩兵師団第7騎兵連隊第3大隊長、第3師団G-3、国防大学を卒業して第3師団第2旅団長、ドイツ駐留第7軍団G‐3、NATO地上軍南欧補給部長、第3歩兵師団副師団長と主としてドイツで活躍した。

その後、栄誉ある第1騎兵師団長に就任、陸軍参謀本部G-3陸軍参謀副長補、同参謀副長、在欧米陸軍司令官兼NATO中欧地上軍司令官兼SFOR司令官としてボスニア平定に手腕を発揮。陸軍参謀次長を経て第34代陸軍参謀総長(99年~03年)に就任した。米陸軍大将は勿論、米陸軍トップである陸軍参謀総長への就任は、日系米国人としてもアジア系米国人として初めての快挙である。

シンセキ大将の名を高めたのは、42年に「敵性外国人」の子として生まれながら軍のトップにまで登り詰めたという立志伝にのみあるのではない。SFOR司令官としての実績もさりながら、そこでの教訓を生かした参謀総長時代の諸改革、即ち米国陸軍史上最大規模のトランスフォーメーションの実現や、ストライカー旅団構想の実現は特筆すべき業績であるし、更にはラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィツ国防副長官らのネオコン流長袖兵法論者が、イラク進攻を楽天的に考えていたのに対して、数十万の兵力が必要と勇気をもって諫言し、却って憎まれて陸軍を追われてからも一言の不満も漏らさず、結果的に自説の正しさが証明されてからも些かも誇ることのない、清廉潔白な武人としての生き様にこそ真価がある。

まさに現代のサムライと呼ぶべき人物で、この様な人物と祖先を共有していることを、すべての日本人は誇りに思っても良いだろう。なおシンセキ大将の評伝については、軍事研究2007年7月号に永井忠弘氏による詳しい記事があるので、関心を持たれた方は是非参照して頂きたい。