熊本地震で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
この地震では、熊本城の崩落した無惨な姿がテレビに映し出され、特に算木積み一本にかろうじて支えられた飯田丸五階櫓の映像は、多くの人に衝撃を与えた。
そのあまりの衝撃もあってか、ネットを中心に様々な言説が流布されたが、その中で無知や都市伝説がベースになっているものが多々あるので、そのいくつかを正しておきたい。
まず最初に、熊本城天守の瓦がほとんど落ちてしまったことを受け、地震の時に天守や櫓の瓦は倒壊を防ぐためにわざと落ちるように成っている。さすがは清正公の建てた名城だ、という説だ。
これはまったくの都市伝説。城でも寺でも地震の時に瓦が落ちると近くにいる人の生命に危険を及ぼすのでわざわざ落下させるという設計はあり得ない。
軽くするためなら鉛瓦や銅瓦にするという方法があるし、天守は普段は倉庫として使用していたのだから、土瓦の重さすら軽減したいというなら、荷物を入れない或いは柿葺きにすればいいだけのことである。
ちなみに熊本城天守は昭和35年に鉄筋コンクリート造で外観復元された復元天守である。
同様のものとして、石垣も地震の時にわざとずれることで全体の倒壊を防いでいるという説も聞くがこれも都市伝説。
牛蒡積みの説明としては正しいが、打込み接ぎ、切込み接ぎを主とする近世の城の場合、わざわざずれる様に積むことはない。
江戸城などでは石と石をチキリという金属具で固定しているくらいである。
地震や経年劣化で孕み出たらその都度すぐに修復するというのが正しい。
逆に、熊本城の惨状を目の当たりにして、清正公の城もひいては日本の城も大したことはない。熊本城もたまたま災害を免れていたにすぎないという言説も聞くが、これも誤り。
熊本城は現代になっての再建が目覚ましい城で、昭和35年の天守、昭和56年に再建されたものが台風で倒壊したため平成15年に再建された西大手門櫓、平成14年再建の南大手門、平成15年に再建された戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、20年の本丸御殿・・・。
件の飯田丸五階櫓は17年の再建。
在来工法による完全復元だが基礎は鉄筋コンクリート造のため上下での振動の伝わり方のバランスが悪くなっていることは容易に想像がつくし、もともとあった石垣を毀損していることに変わりはない。
慶長年間の創建当時のまま現存している宇土櫓がほとんど無傷の(瓦もほとんど落ちていない)様に見受けられるのと好対照で、清正公の城が如何に堅固であったかを証明する事になったと言っても過言ではないだろう。