8月13日火曜日午前10時30分、関門海峡の入り口に近い下関市沖海中で轟音とともに100m以上の水柱が上がった。海上自衛隊下関基地隊による、機雷の爆破処理成功の瞬間である。
この機雷は長さ2m超・重さ約900kgと伝えられているから、「飢餓作戦(オペレーション・スタベーション)」として太平洋戦争末期の5か月間に1万1277個が敷設されたうちの、MK25シリーズだろう。
このMK25 Mod2は全長230cm、重量835kgで、うち炸薬量は510kgという強力なもので、しかも自滅装置は省略されている、やっかいなシロモノ。
戦後、これら機雷を処理することが海上自衛隊の重要な任務であり続け、そこで培った技術が、湾岸戦争後のペルシャ湾掃海任務で生きたわけだ。
8月10日に発売の『軍事研究』9月号から、ペルシャ湾掃海派遣部隊指揮官を務めた落合畯元海将補の回想録の連載が始まりました。
他では読めない、イイ話がテンコ盛りです。
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