森友学園の籠池氏はエセ愛国者のペテン師でカネの亡者だというのが、もはや日本国民の定説となったようである。特に保守派・与党側からの、如何に自分たちと無関係な人間なのかを必死に強弁するかのようなヘイト攻撃は凄まじく、反対に革新派・野党側が共感を装って猫なで声ですり寄っているのと好対照なのが実に面白い。
ただし幼稚園での教育内容となると一転し、園児に教育勅語を暗唱させる森友学園の教育は、いまだに保守派の人々を感動させ続けているというのだから不思議なことだ。良い先生がつい行き過ぎた教育をしてしまうというのはよく聞くが(かの吉田松陰先生が生徒が老中を殺してこなかったら絶交といった類のこと)、人間のクズがつい素晴らしい教育をしてしまうというとこは未だ聞いたことがない。森友学園は古今東西唯一の例外だということになる。
それはさておき、「保守派=日本会議派」の人々は一様に教育勅語をたいそう有り難がり、わが稲田防衛大臣も「現代でも通用する価値観」と会見で語っているが、1948年に衆参両院の決議によって失効したものを敢えて今頃になって復古させる意義があるのだろうか。
そもそも教育勅語とはいったい何なのか。たった315文字なので全文掲げても良いのだが、かいつまんで説明すると臣民の忠孝こそ国民道徳、国民教育の根源であるとし、派生的な15の徳目を列挙しつつ、これらが皇祖皇宗から申し送りされた時空を超越した真理であり、君臣一体となって遵守しようというものである。なので現代でも通用する価値観を含んでいるのは当然である。
問題なのはそれを天皇に対する「忠」が根本で、かつ「皇祖皇宗が作った」ものだというロジックにある。道徳の中心点に天皇があると説く教育勅語を現代の学校で教えるというのは時代錯誤以外の何物でもない。ひょっとして教育勅語が復古されることを最も嫌がっているのは当の天皇陛下なのではないかと思うが、これも忖度が過ぎるだろうか。
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