これについて、①これらの人物は歴史上さして重要ではないので削除されて当然、②しかし用語を削るという趣旨には大反対で、寧ろ従来のクイズ的出題を廃して完全持込みOKにすることこそ肝要、③そもそも上意下達で教科書を左右する学会の権威主義こそが問題であると、簡潔かつ過不足ないコメントをされた本郷和人・東大教授には、流石は日本史の第一人者と脱帽せざるを得ない。
それに比べて、市井の歴史ファンや単なる予備校教師の論調が、如何にお粗末だったかという事実と鮮やかな対比を見せている。
本来、本郷教授のコメントに些かも付け加えることはないのだが、現代日本国民の愚かさ(根拠のない自信過剰と、それとは正反対の平和ボケ、或いはナイーブな理想主義等々)が、日本近現代史についての誤解(というよりも180°の曲解)に由来していると思われるので、蛇足ながら少々付け加えておきたい。
坂本龍馬は現在の視点から見ると、実像は単なる武器商人(本来の意味でいうところの「死の商人」)であり、ある時は西郷隆盛のパシリ、ある時はグラバーの小間使いであったことが判って来ている(しかも勝海舟の一番の弟子ですらなかった)。
このような、とるに足らない人間をヒーローに押し上げたのは、第一には坂崎紫瀾が書いた自由民権運動プロパガンダ小説「汗血千里駒」、第二に昭憲皇太后の夢枕に立った(?)こと、第三に司馬遼太郎の書いた「竜馬がゆく」である。何れにしても完全フィクションによっていることに注目しなければならない。
歴史を、小説やTVドラマの曲解から解放し、史実を直視することからでしかリアリズムを備えた判断力は生まれないと知るべきである。
※本郷和人教授のコメントの詳細については「けやきhill’s NEWS」で確認して貰いたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿